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【アラベスク】  第12章 マジカル王子様



第4節 挑戦状にはジョーカーを添えて [2]




 あの夜、彼は美鶴をここへ連れてきた。怒号のような音楽の中で、明滅する光の中で、彼は美鶴にこう言った。

「僕が欲しいんだろう?」

 悪びれもせずに優しく笑った。

「君の望む僕をあげる」

 本当に、華のような笑顔だった。まるで当たり前の事を言うかのような声だった。

「大丈夫。僕は、君が望む通りに変化(へんげ)できる。君の望む僕を差し出してあげられる。そうだ、僕は都合の良いジョーカーみたいなものだ」

 笑いながら、ゆらゆらと白い指を躍らせた。だが彼は、自分が美鶴をどう思っているかは、言わなかった。
 美鶴からの想いを嬉しいとも、逆に迷惑だとも言わなかった。
「答えてください」
 嫌いだと言われるかもしれない。もう二度と顔など見たくもないなどと、辛辣な言葉を遠慮もなしに投げつけられるかもしれない。
 だがそれでも、美鶴は知りたかった。
 自分がどう思われているのかがわからなければ、これから先どのような行動を取ればいいのかも決められない。諦めなければならないのか、それとも―――
「教えてください。霞流さんは私の事を、どう思っているんですか?」
「そんなに知りたいか?」
 地を這うような声。本当に、闇の底から這い出してきた魔物のような、不気味で怪奇で気疎(けうと)い声。同時にグラリと長身が揺れる。まるで白い人形が意思を持っているかのよう。その影が圧し掛かるように美鶴に覆い被さる。
「知ったところでどうにもならない。俺はそもそも女が嫌いだ」
「でも昔はちゃんと、好きでしたよね」
 慎二はチッと舌を打つ。
「智論か」
 また智論か。
 うんざりとした気分と同時に、冷めた感情が沸き起こる。
 この女もか。
 自分の過去を知って、ある女性は哀れに思い、ある女性は自らと重ね、さらに慎二への好意を抱く。
「私は違うわ」
「私は裏切ったりしない」
 そんな言葉で媚びてきては、慎二を改心させようと躍起になる。
 だが慎二は知っている。そのどれもこれもが、所詮は下心を携えた陳腐な策略。慎二の見栄えと家柄に盲目となった、哀れな外道。
 哀れだ。
 慎二は思う。
 女は哀れだ。何も見えず、何も判ってはいない。そんな女に騙された、俺も馬鹿で暗愚な人間。
 どいつもこいつも、落魄(おちぶ)れた魔物。
「昔は、ちゃんと彼女もいましたよね」
「今は嫌いだ」
 威圧するように見下ろす。影が美鶴のすべてを覆う。細々とした光りが、淡い慎二の髪の毛を照らす。
 綺麗だ。
 逆光に縁取られたシルエットに思わず見惚(みと)れてしまいそうになる。そんな自分を必死に叱咤するかのように、美鶴は腹に力を込めた。
「じゃあ、私の事も嫌いですか?」
 覚悟した。嫌いだと宣告されるのを覚悟した。
 だが慎二は、一瞬黙し、少し顎をあげた。
「嫌われたいのか?」
「……いえ」
 このような人物相手に答えるのは癪だが、嫌われたいなどとはとても言えない。
 弱い立場を曝け出したかのような気分で少し視線を避ける。その仕草に、慎二が薄っすらと笑った。
「じゃあ、そのような事は聞くな」
 肩に手を置かれる。驚いて再び見上げる。美鶴は言葉を失った。
 整った顔に漂わせるのは、蕩けるような極上の微笑み。涼しげな目元に華のような優しさ。清楚で上品で、でもどことなく(あで)やかで華美(かび)。淡い光りを浴びて浮かび上がる姿は、まるで宮廷お抱えの一流技師が操る影絵。
 美鶴は瞬きすらできない。
「お前はただ、俺に魅せられていればいい」
 囁く声は天上の調べ。まるで天使が舞い降りるかのように、美鶴の上にその身が覆い被さる。
「そうすれば、いくらでも夢を魅せてやる」
 その後には、奈落の底へ突き堕としてやるんだけどね。
 瞳に相手を映したまま、ふっくらとした唇を求めて笑った。その瞬間だった。
 ―――――っ!
 人気の無い、二人意外には猫もいない裏路地に、乾いた音が響いて消える。
 呆気なく吹っ飛ばされ、慎二はしばらく唖然としたまま目を見張った。
 前にもこのような事はあった。そうだ。京都の夏。嵐山の川辺でも同じような事があった。あの時は胸を突き飛ばされた。しかも大した勢いではなかった。だが今は違う。はっきりと頬に痛みが広がる。
 引っ叩かれた頬を押さえ、ようやく首を捻る視線の先で、美鶴が剣呑に睨み返してくる。







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